高校時代の価値観、経験したこと、学んだ内容を記載しました。
僕がどんな人かが伝われば嬉しい限りです!
目次
価値観(あり方 Be、理想 Want)
中学時代の経験から
努力する⇒成果につながる⇒褒められてやる気が上がる&自信に繋がる⇒さらに努力できる
という思考が芽生えていたことから、
「勉強」と「部活」は頑張ろうと決めて取り組んでいました。
目標①:勉強
入学当初は300位(/320)という成績だったので、
当時は「中間の順位で食らいつく」という目標を立てていました。
高校3年生の受験期までは目標通り「100/320位」ぐらいを維持していました。
ただし、得意科目があれば将来は必ず得をすると父から聞いていたことで、「誇れる得意科目をもつという目標」が入学当初からありました。
他の科目に比べて得意だった理系科目(数学、物理、化学)だけは頑張ろうと思い、成績は上位でした。
これが自信に繋がり、受験期で頑張ることが出来ました。
目標②:部活
中学時代は部活を一切頑張っていなかったことから、
本気で部活を頑張るって、何らかの成果も残したいと思っていました。
経験したこと
経験①:アメリカンフットボールとの出会い
僕の高校には珍しくアメフト部がありました。
当初は、得意な空手を活かしたいという思いで「空手部」に入ろう
と考えていましたが、
入学当時は体重が80kgという体格だったことから、熱烈な勧誘を受けました。
当時アイシールド21という漫画がちょうど流行っていた
&アメフトはその体格(デブ)=才能だよ!
と自分が必要とされていることが嬉しく、入部を決意しました。
このアメフトの経験は自分が変わったきっかけの一つです。
度胸、根性
体重100kgを越える人同士が本気でぶつかる衝撃、痛みの恐怖に打ち勝つ。
(体中あざだらけ。もののけ姫のアシタカみたく、右腕が青あざだらけになったこともありました。笑)
この経験を通して、大げさに聞こえるかもしれませんが、一切怖いものはなくなりました。
それまでは絶叫マシーンにも乗れないほどビビりでしたが。笑
すごくメンタルが鍛えられました。
自分への自信
僕に向いていたスポーツだったこともあり、1年からレギュラーになれました。
それがきっかけでさらに努力をする。
生まれて初めてスポーツで「成果と実績」を残せたことで、自信が生まれました。
「自信がついたら、さらに努力できる」ということを知りました。
チームプレーの楽しさ
みんなで力を合わせて、一つの目標を達成する楽しさを知れました。
何とも言えない初めての気持ちでした。
時には喧嘩してぶつかり、時には共に涙し、時には歓喜し、それを通して絆が深まる。
みんなと目標にむかって価値観を共有する楽しさだけでなく、
目標=勝利のためにチーム内で自分になにができるか?を考える。
初めて、組織の中で自分の役割を考えて行動するきっかけを知れた出来事でした。(副キャプテンも務めました)
経験②:高校2年の文化祭
優勝という目標のために、得意な笑いをメインにした企画やアイデアを考えること。
(ハイレグで武富士のCMダンス、コント、歌etc…をやりました)
多くの人と協力して1つの目標に努力すること。
自分の役割を考えて行動すること。
(=面白いことを言って場を盛り上げるetc…)
アメフトとはジャンルは違えど、同様の感覚でした。
「多くの人達と1つの目標に向かって努力し、感情を共有する」
これが昔から僕が求めていたやりたかったことなんだなーと心底感じました。
今でも僕の根底にあり揺るがない価値観です。
経験③:大学受験
3年生になり、部活を引退後、受験シーズンがやってきました。
大学への明確な目標がなく、「両親から認められたい」という理由から
・最低でも、私立で関関同立レベル以上
(父の出身校以上のレベル)
・できれば神戸大学(家から近いから)
と言う目標で何となく頑張っていました。
夏休み前、周りは塾に行き出しました。
今まで自力で勉強してきたので、塾に行かず一人でやるという選択をしました。
(友達によりモチベーションが上がる等のメリットが多くあることに気付いて後悔しました。笑)
最初は頑張っていましたが、夏休みの途中でやる気が切れてしまいました。
理由は簡単でした。明確な目標がなかったからです。
理想像を描けていない状態で、孤独で頑張り続けれることって困難です。
夏休み後の全国模試で、周りとの差は歴然でした。
(このときは理系コースに進んでいた)50/80ぐらいの順位。
全国偏差値48。神戸大学どころか関関同立も無理なレベルでした。
夏休み前までは僕より成績がよくなかった、多くの友達にもかなり抜かれていました。
伸び幅=努力と言う点で「負けた」ことがめちゃくちゃ悔しかったです。
この感情があったのは、
中学でのきっかけ、高校でのアメフト、得意な科目があることを通して、自信が少しづつ積み重なっていたからです。
将来の明確な目標は相変わらずありませんでしたが、
「誰よりも成績を伸ばしたい」という目標が出来ました。
そこからは、学校が終わってから毎日23時まで一人っきりで勉強しました。
(塾等を活用して勉強のやり方次第で、もっと伸びていたと後で後悔しました。笑)
話しは変わりますが、時を同じくしてヘルニアが発症しました。
痛み止めを服用し続けても、歩行が困難で、寝たきりの日があるほど。
学校生活にも支障をきたす時期が3か月ほど続きました。
ヘルニアの中で、受験勉強も続けたことも大きな自信になりました。
また、家族と友達の大切さを心から感じた時期でもあります。
勉強とヘルニアで幾度となく心が折れそうになりましたが、
「自分に負けるのは嫌」という気持ち
「自分ならできるという自信」で勉強し続けた結果、
・私立で受けた2校(立命館、関大合格)
・センターで大失敗したこともあり神戸大学は断念しましたが、岡山大学に合格できました。
(センター試験の物理で満点を取れたことは小さな誇りです。)
ストレスとヘルニアの代償で、体重はMAX102kgに到達していました。笑
経験④:恋愛
高校時代から彼女が欲しいという気持ちが高まりました。
けれど、全くモテませんでした。笑
見た目はアメフト当時のMAX体重が98kg、受験後のMAX体重102kg。
女性との会話は苦手で奥手。
願望だけはありましたが、恋愛に関しては何らかの努力をするわけでもない。
(ダイエットは全然うまくいかない、ふられることが怖くて行動しない)
ということで、青春ははかなく散りました。
と同時に、大学生活で挽回すると心に誓いました!笑
学んだことのまとめ
アメフト部での経験、大学受験の経験(塾にいかず自力)を通して、
自分は決して才能はないが、「努力できる人間である」ことを自覚し、大きな自信となった高校生活でした。
①中学時代以上に、目標をもって努力すれば叶う(≒自信)
②多くの人達と1つの目標に向かって頑張ること
=多くの人たちと感情を共有することが楽しい
③組織の中で自分が何らかの形で役に立つことが好き
ということを学んだ高校時代でした。
参考:客観的に振り返って
高校入学時までは色々と大切な経験をすることが遅く、
成長や気づきも少なかったので、完全に劣等生でした。
高校卒業時に、ようやく一通り大切な経験ができたことで、
周りに少し追いついてきたかなという感じです。(恋愛以外)
成長するタイミングが遅いという自覚と悔しさがあったため、
大学では思いっきり頑張って、人一倍成長しようという気持ちがありました。
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